言熟文源録【ことば紀行】

ふっくら熟れたことばの実。そのタネをみつめる旅に、出かけましょう。

マルティン・ハイデッガー『存在と時間』(ちくま学芸文庫) #57

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難解な一篇だ。分け入っても分け入っても、奥があるように思われる。ただ今回、得心することもあったので、少し書き残しておきたい。

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ハイデガーの師は、1916年にフライブルク大学で教鞭をとりはじめたフッサールだ。フッサールははじめ、『論理学研究』で、人間に内在するものは「心理」だけではないとみなして、その内在的な流れの中にあるであろう論理のようなものを記述する方法があるだろうと考えた。ここでいう「論理」は、いわゆるギリシア哲学的なロジックのことではなく、人間の意識や、直観のプロセスで動いているかもしれないものを指す。それゆえにフッサールは、この論理を「超越した論理」と見た。

ついで『イデーン』では、そうした「超越した論理」にはたえず"一般定立"―いわば「よくわからない思い込み」のようなもの―が働いていると主張した。そして、この「思い込み」をいったん判断の座から棚上げする、つまりそれに対する判断を保留することで、世界と自分の関係を観察できるのではないか、というところに思い至った。「判断中止(エポケー)」である。

けれども、この一般定立を判断の座から棚上げしても残るものがなおあるはずだとフッサールは推理し、その残ったものを取り出して思考するための方法を練った。これが「現象学的還元」と呼ばれる方法だ。

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ハイデガーはそんなフッサールに学んだわけだった。ハイデガーは本書『存在と時間』において、フッサールが言う現象学的還元によって見えてきたものに注目し、まさにそれこそが「存在」そのものの正体ではないかと見た。ここでいう「存在」は、コンピュータでいう「ファイルのメタデータ」のようなものだ。

われわれには必ず「死」というものが待っている。どれだけ周りに愛されても、死ぬときは一人。誰かと「連れション」することはできない。目を少し転じてみると、わたしたちは生まれてきたときも一人だった。誰もその意識の発端には立ち会えない。ところが、この「生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死んで死の終に冥い」一人という単位の、生死の両端を管理しているものがハイデガー哲学でいう「存在」だ。

そのような存在は、象徴的には生・死という両端のあいだの「時間」に従属していることになる。なるのだが、その時間はもともと人間の「外」にあるものだ。宇宙のビッグバン以来、時間は流れているわけだし、「一人」が死を迎えても流れつづけるだろうからだ。

ようするに、どんな存在だってもっと大きな時間とともにあるはずなのに、その時間の全貌は「私」に所属していないのだ。人間が自分の死を体験できない(他人の死も同様だ)ということは、「私」は世界のごく一部にしか属していない、ということもできる。巨視的な目でみると、「私」は世界の時間の一部に過ぎない。

では、人間は「生死の両端」も大きな時間も感知していないはずなのに、なぜ存在を感じることができるのだろうか

ここでふりかえってみると、ヨーロッパの近代哲学は、日本での江戸時代直前、1596年に生まれたデカルトが「われ思う、ゆえに我あり」と打ち上げたところに端を発していた。だからこそ、ふつうは「ある」といえば「私」があることを指す。「主観」としての私が生まれたとき、残りの「私でないもの」は「客観」として外側に分けられる。これが物心二元論で、ヨーロッパのいわゆる「近代自我」の根拠になってきた。

しかしハイデガーは、そういったふうに「ある」をとらえてはまずいのではないかと見た。デカルトのように「私」があるから世界がある、というのはいささか傲慢ではないか。もしくは、どこかで同義反復をおこしているのではないか。

話が飛ぶようだが、コップというようなものには、「水を入れる」とか「飲む」とかといった本質がそなわっている。家も、車も、本棚も、それぞれ本質=用途をもっている。けれども人間には、そういう用途の決まった本質はあらかじめ用意されていない。

そこにあるのは「動物」としての人間だ。だが、動物なのだが、他の動物とはちがう何かがある。言語を操り、道具を駆使し、意識をもっていて、社会をつくった。けれどもそれらがいったい何なのか、その「ほんとうのところ」を知っているかといえば、ほとんど何もわからない。とくに社会のことは、生まれてからそれなりに長く人生を体験してみないと、わからない。

だとしたらわれわれは、われわれの背後にある(先に述べた意味での)「存在」だけを問うべきだ。そして、そういう存在だけを問われる人間を「実存」(現存在)とみなそう。これがのちのサルトルらへとつながる「実存主義」のスタートだった。

こうしてハイデガーは、人間の実存はそもそもにおいて「世界―内―存在」とみなすべきという考えに至る。「われわれは"世界"の外へでることはできず、そして生・死の両端を含めた"自分"の全体を知ることはできない」といったような意味だ。ハイデガーは、こうした人間と世界のありかたを「未済」と呼んだ。

この思想は、19世紀後半に生物学の成果を社会へ強引に転用した社会ダーウィニズムの「社会や人間は進歩する」という考え方とは、かなり異なるものになっている。「唯物史観」と呼ばれるマルクスの「人間の意識や存在は疎外されている」という見方でもない。"自分"に中心をおいていないのだ。自分と世界が区別なくつながっているということだ。ハイデガーのこの考え方は、ニーチェによって「神の死」が宣告され、しかも第一次世界大戦の混乱と不安の中にあった時代に「知の一撃」を食らわせたわけだった。