言熟文源録【ことば紀行】

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【コロナと仏性】幸田露伴『風流仏』 #41

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この記事から学べること

  • 『風流仏』とはどんな物語か
  • 露伴が表現したかった思想
  • 幸田露伴の生い立ち

はかない風流・永遠の仏性

 明治文学の大家、幸田露伴の出世作だ。尾崎紅葉『二人比丘尼色懺悔』に続く形で「新著百種」第5号として発刊された。1889年のことだ。同じ年に大日本帝国憲法が発布され、エッフェル塔が完成した。北里柴三郎も破傷風菌の純粋培養に成功していた。そんな年に露伴文学は世に躍り出た。

 仏像彫刻をなりわいとする「仏師」を主人公にした話だ。フロム・ソフトウェアから発売されている人気ゲーム『隻狼』にはうら枯れた老年の仏師が登場するが、本作の仏師は21歳と若く、恋愛盛りの青年だ。珠運(しゅうん)という名のその仏師は、「古跡めぐりの旅」の途上立ち寄った木曽(いまの長野のあたりだ)の須原で花漬売りのお辰と「仲良く」なり結婚する段どりとなる。ところが何年も行方が知れなかったお辰の父は、維新に際して海外へ渡り、帰国後子爵となっていた。「町の定食屋の看板娘が、実は社長令嬢だった」という状況を想像してもらえれば良い。ともかくお辰はその子爵の娘ということがわかった為に東京に連れ去られ、珠運との縁談は反故になる。狂おしいのは残された珠運である。彼は自分ではどうしようもできない状況を前に、檜の板に女体の菩薩像を刻み始める。罵りつ、口説きつして彫り上げたその菩薩像にはやがて魂が宿り、珠運ともども仏となって所々にあらわれる。「はかない風流」が「仏性」を得る。そういう話だ。

 終盤の文章は飛躍的な描写が多く難解だが、《風流と仏とは矛盾したものではなく、風流即仏となって始めて大調和の世界が生ずる》(塩田良平)という思想を表現したものだとされる。塩田氏は《現実とその破綻を煩悩と理性との対立の形で描写され、そこを芸術によって乗りきったところに、真風流が生じたことを示した》と評している。要するに面白いので一度読んでみる価値はある。ぼくは細部の描写を味わいながら、ひとつずつかみくだくように読んだ。「虚言(うそ)といふ者誰吐そめて正直は馬鹿の如く、真実は間抜の様に扱はるる事あさましき世ぞかし」という一文が一番のお気に入りだ。

茶坊主に生まれた露伴

 露伴が生まれた幸田家は、代々「お茶坊主」として幕府に仕えていた家柄だ。1867年、江戸は下谷(したや)に生まれた。いまの台東区(たいとうく)北西部だ。ちなみに67年、維新の1年前の生まれだから、さきに紹介した尾崎紅葉とは同い年だ。露伴は湯島の聖堂に通い詰めていたころに出会った淡島寒月を通じて、紅葉とも親しくなった。ちなみに露伴が湯島の聖堂に通っていたのは、そこで東京図書館(いまの国立国会図書館支部上野図書館)の書籍が閲覧できたからだ。ここで彼は当時「邪道」とされていた老子・荘子をはじめとする諸子百家の古典を読破した。それだけでなく、一般の漢学者たちが敬遠していた水滸伝・西遊記なども読み漁り、さらに近世の稗史(はいし)小説、俳諧、雑書まで読み込んだ。これが結果として、作家としての「基礎トレーニング」になった。

 また、文学家というイメージにそぐわず、「官費学生」として電信修技校に入学している。当時、電信技術は先端的な技能だった。いまでいうプログラミングのようなものだ。そこに国のお金で学べたということの要因は家柄もあるだろうが、露伴自身の数学の才も少なくないだろう。ところが彼は卒業後、官費学生の義務として北海道の余市(よいち)町電信分局に赴任するのだが、そこでの勤務を放棄して帰東してしまう。1885年のことだ。ちょうど坪内逍遥の『小説神髄』『当世書生気質』が出版され、また尾崎紅葉らの硯友社などによって文壇は新たな展開を示しつつあった。露伴は北方でこの情勢を聞き及び、ある種の切なる思いをもって出奔したという訳だ。

 東京に舞い戻ってしばらくの間、露伴は雌伏の時代を送る。父の怒りに触れ、父が経営する紙商の店番をやらされていた。だが何もせず、手をこまぬいていた訳ではない。「風流禅天魔」や「露団々」といった習作を書き上げた。前者は残念ながら未発表のままうずもれてしまったが、露団々の方は1889年の2月に雑誌「都の花」に掲載された後、単行本となった。淡島寒月らが褒めちぎった。男女の悲恋を写実的に描いた小説が盛んになりつつあった当時に、露伴は恋愛を主題とせず、ある種風格がある作風によって世間の耳目を集めた。

 こうして露伴は今回とりあげた『風流仏』をはじめとして、『対髑髏』『五重塔』『幻談』『連環記』と年を追うごとに新作をものしていった。ぼくは2年ほど前、露伴74歳の時の作である『連環記』を図書館で借りだして読んだが、面白かった。だが「ちゃんと読み切る」にはまだ時間がいる作品だとも思った。江戸以前の古典に興味がある向きは、『連環記』にまず親しんでみるのも良いだろう。

 さて、今年の初めから燎原の火のごとく猛威を振るい始めたコロナウイルスとわれわれとは、もう少しつきあっていく必要があるものらしい。ぼくもこの半年間、ほとんど外食していない。そんな今だからこそ、露伴から「はかないもの」の一端を学んでみるのも悪くないだろう。

風流仏

風流仏

参考

  • 集英社『日本文学全集』第3巻
  • 小学館『日本国語大辞典』
  • 小学館『日本大百科全書』
  • 松岡正剛 監『情報の歴史』(NTT出版)