言熟文源録【ことば紀行】

ふっくら熟れたことばの実。そのタネをみつめる旅に、出かけましょう。

こちら/あちらの新感覚【長い歴史の短い一端 #3】

f:id:fugithora812:20200618083930j:image

 さて、サピエンスが乳幼児の扶養のため社会性を高め
ていくと同時に、それとは相反するようにも見える事態
も起こっていく。道具の高度化により、人間同士の殺し
合いがひときわ目立つようになったのだ。ムラとムラと
の衝突だ。これは個人的な感想だが、「内部と外部」を
規定する心理的・地理的条件によって「守る/攻める」
の境界が決まっていったのだろう。加えて、狩猟採集中
心から農耕牧畜中心へとライフスタイルが変化すると、
より「自分たちの土地」を巡った争いが起こるようにも
なったろう(「この土地は俺たちのムラのもんだ、誰に
も渡さねえ」)。
 最古の農耕牧畜社会は、ユーフラテス川ーメソポタミ
アーの中流あたりで始まったと考えられている。約1万
年前のことだ。イギリスのゴードン・チャイルドは、こ
の事態を「新石器革命」と名付けた。というのも、ほと
んど同じ時期に磨製石器が高度化されたからだ。ここで
磨製石器とは、文字通り「磨く」技術によって製作され
た石器をいう。ただ、これは地域によってバリエーショ
ンに富むので、学術の世界では「磨製石器」とひとくく
りに呼ぶことはあまりない。
 ところで農耕が始まった原因としては、地球の寒冷化
が指摘されている。ヤンガー・ドリアス期と呼ばれるそ
の寒冷期が訪れるまで、西アジア一帯には狩猟採集民の
集団が少なからず存在した。そうした中で、寒冷期の到
来によって手に入る動物や作物が減り、彼らは飢えに直
面する。だがここで、僥倖ともいえることがあった。彼
らの居住地のほど近くに、貯蔵可能な麦、豆類が自生し
ていたのだ。これが農耕への道を決定づけた。変化した
環境に適応する形で、農耕が広まっていったのだ。
 この農耕・牧畜の始まりを一般には「ドメスティケー
ション」と呼んでいる。「自然に順応する」狩猟生活か
ら、「自然を支配する」農耕生活へと劇的な変化が訪れ
たのだ。これが人類の、地上におけるヘゲモニー(覇権)
確立を決定づけた。農耕により、食料が人間の意志で生
産できるようになると、1日中獲物を追いかける必要は
なくなる。つまり、余剰時間が増えるのだ。この時間的
余裕が、社会活動や政治活動を生んだ。直接には生産に
携わらない寄生階級(王・神官・商人など)も登場してく
る。この寄生階級が生産地から少し離れて住むようにな
って、都市が姿をあらわしてくる。
 さて、こうして西アジアの「肥沃な三日月地帯」に農
耕・牧畜文化が根付いたころ、道具などに彫り込む文様
も高度に抽象化した。たとえば西アジアの彩陶土器には
幾何学模様が刻まれ、またドナウ中流のスタルティエボ
土器にはジグザグや山形、波形といった模様が見られる。
また、このころの精神的な信仰としては女性信仰が主だ
った。南メソポタミアの《テル・エッソーワーンの女性
小像》やイランのテベ・シアルク第1層の《地母神像》
がある。シュメール文明ー世界最古の文明として有名だ
ーの神話でも、豊穣の神はニンフルサグ、ニンガル、ニ
ンマフと皆女性器を意味する「ニン」がついている。
 アジアの東側、今の中国のあたりに目を向けてみると、
ここでも同じ時期に水稲農作がはじまったようだ。「華
北の粟・江南の米」と俗に言われる。黄河流域と長江流
域とでは、適した農作物が違ったのだ。農作の開始に伴
う形で、江南には「大汶口文化」と呼ばれる文化が興る。
その遺跡からは翡翠象牙を使った加工品が多く見つか
っている。
 農耕が普及していくにつれ、人々はある重要な事態に
気づく。「季節の移り変わり」を何とかして予測せねば、
効果的に農作物を収穫することができないのだ。「種蒔
きの時期」はいつで、「収穫の時期」はいつなのか。そ
れを解き明かす必要がある。鍵になるのは太陽の運行だ。
どうも、この星は昼/夜という短期的な周期だけでなく、
360日ちょっとの長期的な周期ももっているらしい。
 最初に大きな成果を上げたのはエジプトだった。恒星
年を発見したのだ。恒星年とは、恒星の周りを惑星が公
転する周期をいう。地球においては、これが365.2564日
となる。この数値をもとに、太陽暦が考案された。1年
を365日とし、端数の0.2564日はうるう年で調整すること
にした。
 もうひとつ、面白い話を紹介しよう。定住が風景を生
んだという話だ。動きまわって狩猟採集をしていたころ、
「風景」は存在しなかった。遠くに見えるあの山も、近
くにあるこの野原も、彼らにとっては「行くことができ
る場所」だった。「こちら側にある場所」だった。それ
が定住を始めて、遠くに霞む山を「あちら側の風景」と
して眺めるようになっていく。風景を風景として同定で
きるようになったのだ。この「こちら/あちら」の感覚
が、ゆくゆく「アルカディア」や「ユートピア」、「桃
源郷」や「浄土」という構想を生むことになる。(つづく)