言熟文源録【ことば紀行】

ふっくら熟れたことばの実。そのタネをみつめる旅に、出かけましょう。

【乾坤一擲の海洋文学】ヘミングウェイ『老人と海』 #33

f:id:fugithora812:20200503220427j:image

 ようこそ、「ふぎと屋」へ。きょうはアメリカの海
洋文学を仕入れたよ。ひとつ、付き合ってもらってい
いかい?…そうだなあ、今回はエドムンド・ウィルソ
ンの話から始めようか。


批評家E.ウィルソン


 ウィルソンってのはアメリカの批評家さ。法律家の
息子として1895年に生まれてね、プリンストン大学
出た後から、いろいろ書評をものしていた人さ。特に
刮目すべきは1944~48年の『ニューヨーカー』誌上の
活躍でね、この4年間で「アメリカの文芸復興に大い
に寄与した」と言われるほど、鬼才たちをぼっこぼっ
こと発掘していったのさ。ここでフィッツジェラルド
ドス・パソス、フォークナーたちといっしょに発掘さ
れたのが、今回とりあげる『老人と海』の著者ヘミン
グウェイだったのさ。

老人と海 (新潮文庫)
 


ヘミングウェイと『老人と海


 ヘミングウェイ自身は1899年、シカゴ近郊のオーク・
パークに生まれた。彼が育って、大人になった時期と
いうのが世界を巻き込んだ戦争が起こって、ひといき
ついたと思ったら大恐慌がやってきて、ナチスが台頭
しようとしてた、そんな時期だったのさ。それだから
ヘミングウェイは同世代の作家たちといっしょに「失
われた世代(ロスト・ジェネレーション)」なんて呼ば
れたりする。なんだかバブルの後の日本みたいじゃな
いか。
 不況という状況下にあって、社会的問題に強い関心
が向けられた1930年代は、ヘミングウェイも反政治的、
個人的関心を追求した。例えば、闘牛の話だ。もとも
と彼は1920年前半、『トロント・スター』紙の特派員
としてパリに駐在していたんだが、その時から親しん
でいたスペインの闘牛に死の悲劇的儀式と行動の規範
をみいだして、その知識と哲学を闘牛案内書『午後の
死』(1932年)にまとめたのさ。闘牛の案内書というの
が、なんともユニークで面白いじゃないか。ちなみに
パリ特派員時代は、当時勃発していたギリシア・トル
コ戦争の報道なんかに携わっていたらしい。
 1940年代、ちょうど第2次世界大戦が佳境を迎える
頃、ヘミングウェイキューバハバナ近郊に転居す
る。戦時下では私有船を改装して、敵国ドイツの潜水
艦探索に乗り出したりしたようだ。その後、戦争が終
わってまず書いたのは、『河を渡って木立の中へ』だ
った。1950年に発表されたこいつはイタリアを舞台に
初老の陸軍大佐の愛と死を描いたものだったんだが、
残念ながら不評だった。だから、ヘミングウェイは乾
坤一擲、自分が住んでいるキューバの村をモチーフに
した海洋文学を練り上げるんだな。それこそが『老人
と海』(1952)ってわけさ。こいつがおおいにウケて、
その年のピューリッツァー賞と1954年のノーベル文学
賞におさまった。ヘミングウェイ万々歳だ。それじ
ゃあ、『老人と海』ってどういう話なのかってところ
だが、ここはあまり詳しくは言わないでおこう。読む
楽しみが減るからね。「昔の人の小説だから」としり
ごみする向きもあるだろうが、こいつに関しちゃすぐ
読める。なんせ150ページほどの短い話だ。そんな短い
話の中に、「打ちのめされても敗れない人間の尊厳」
がたっぷり描かれている。これこそがノーベル文学賞
に輝いた要因なのさ。「感動」がギュッと凝縮されて
るとも言えるようなところがな。

 

老人と海 (新潮文庫)
 

 


おまけに


 そんな訳で、きょうはヘミングウェイの前半生を中
心に色々くっちゃべってきた。最後に、「ヘミングウ
ェイを語るならおぼえておきたいあの人この人」を紹
介して終わりにしよう。
 まずはシャーウッド・アンダーソンだ。1870年代に
生まれた彼は、若いころはバリバリと実業界で働いて
いた。とくに結婚してからはオハイオで塗料の通販会
社をおこしたりもした。だが、あるところで「実業で
出世するむなしさ」みたいなものを悟ってしまうんだ
な。だから彼は、30代なかばで作家に転身する。その
頃はちょうど「シカゴ・ルネサンス」と呼ばれる文芸
活動が盛んだったから、アンダーソンも大いに影響を
うける。社会的に見れば、アメリカが農業中心の牧歌
的な世界から急速に商工業中心の機械化された社会に
変わっていっていた時代だ。そうした中で、アンダー
ソンは工業化のしわ寄せをうけた農村の、性的に抑圧
された環境に生きる「グロテスク」な人々を共感をこ
めて作品に描いた。『ワインズバーグ・オハイオ』だ。
1919年に発表されたこいつが、ヘミングウェイに大き
な影響を与えた。だから『老人と海』の次の本として
も、悪くない。
 もうひとりはマルコム・カウリーだ。彼は19世紀末
ペンシルバニアに生まれ、ハーバードを出た秀才な
んだが、彼がホーソン、フォークナーに並んでヘミン
グウェイの選集を編纂している。あまり詳しい情報は
今のところ得られていないのだが、Vikingという出版
が出していた「ポータブルシリーズ」という内の一冊
らしい。
 ともかくも、こんな感じだ。ぼくとしては、次はや
っぱりアンダーソンの『ワインズバーグ・オハイオ』、
そして彼と同時期の作家シンクレア・ルイスの『ドク
ター・アロースミス』あたりへと向かいたいとおもう。
それじゃあ、この辺できょうは店じまいだ。良かった
ら、また来ておくれよ。

 


参考文献


池澤夏樹『世界文学を読みほどく:スタンダールから
ピンチョンまで』(ixtan)
日本大百科全書』(小学館
『日本大百科事典』(平凡社
『世界大百科事典』(平凡社
『世界人名辞典』(岩波書店