「滑稽」が現代アートのキーワード?
どーも、ふぎとです。
今日は、分かりにくい「現代アート」たちの観かたにつ
いて、アイデアを語ってみようと思います。
結論を先にいうと、「その作品がどんな風に"滑稽"なの
か、考えながら観るのはどうでしょう?」という話です。
というか、今では「おかしい、変だ」みたいな使われ方
をしている「滑稽」という言葉。これってそもそもどう
いう成り立ちの言葉なんでしょう?
編集者・思想家の松岡正剛さんは、自身のウェブサイト
「千夜千冊松岡正剛の千夜千冊」でこの「滑稽」という言葉をこう紹介して
います。
"滑稽とは稽古の稽(習い)をちょっとするりと滑る
ことをいう"
今までの「習い」=伝統を、スルリと滑る。ここに難解
な現代アートを観るヒントがある気がします。というの
も、パッと見てすぐにわかる伝統的な歴史画に対する反
発として生まれてきたのがセザンヌをはじめとするモダ
ニズムであり、さらにその「モダニズムの伝統」に対す
る反発として生み出されたのがデュシャンを筆頭とした
現代アートだからです。
はい。要するに「伝統への反抗」として生み出されてき
たのが現代アートなんですね。校則違反して髪染めちゃ
う中学生みたいな心理ですね。違うか。
まあそんな訳で、伝統に逆らう形で生まれた現代アート。
ということは、それを観るときには「この作品が滑ろう
とした"習い"は何だろう」「どういう方法で滑ろうとし
てるんだろう」なんてことを考えると面白いんじゃない
か、と思うんです。
この前紹介した青い日記帳『いちばんやさしい美術鑑賞』
(ちくま新書)でも、現代アートの観かたについてこん
な事が書いてあります。
"作品そのものに加えて、私たちに与えられた手がか
りや資料をもとに、解釈を重ねることが、デュシャン
以降の現代美術を観る鑑賞の仕方です"
そう、まさに現代アート作品は「知の格闘」のリングな
んですね。もっと勉強しないとなあ。
とりあえず早く何か現代アートを見に行きたいふぎとな
のでした。
ではまた。