言熟文源録【ことば紀行】

ふっくら熟れたことばの実。そのタネをみつめる旅に、出かけましょう。

マルティン・ハイデッガー『存在と時間』(ちくま学芸文庫) #57

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難解な一篇だ。分け入っても分け入っても、奥があるように思われる。ただ今回、得心することもあったので、少し書き残しておきたい。

   ◆
ハイデガーの師は、1916年にフライブルク大学で教鞭をとりはじめたフッサールだ。フッサールははじめ、『論理学研究』で、人間に内在するものは「心理」だけではないとみなして、その内在的な流れの中にあるであろう論理のようなものを記述する方法があるだろうと考えた。ここでいう「論理」は、いわゆるギリシア哲学的なロジックのことではなく、人間の意識や、直観のプロセスで動いているかもしれないものを指す。それゆえにフッサールは、この論理を「超越した論理」と見た。

ついで『イデーン』では、そうした「超越した論理」にはたえず"一般定立"―いわば「よくわからない思い込み」のようなもの―が働いていると主張した。そして、この「思い込み」をいったん判断の座から棚上げする、つまりそれに対する判断を保留することで、世界と自分の関係を観察できるのではないか、というところに思い至った。「判断中止(エポケー)」である。

けれども、この一般定立を判断の座から棚上げしても残るものがなおあるはずだとフッサールは推理し、その残ったものを取り出して思考するための方法を練った。これが「現象学的還元」と呼ばれる方法だ。

   ◆
ハイデガーはそんなフッサールに学んだわけだった。ハイデガーは本書『存在と時間』において、フッサールが言う現象学的還元によって見えてきたものに注目し、まさにそれこそが「存在」そのものの正体ではないかと見た。ここでいう「存在」は、コンピュータでいう「ファイルのメタデータ」のようなものだ。

われわれには必ず「死」というものが待っている。どれだけ周りに愛されても、死ぬときは一人。誰かと「連れション」することはできない。目を少し転じてみると、わたしたちは生まれてきたときも一人だった。誰もその意識の発端には立ち会えない。ところが、この「生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死んで死の終に冥い」一人という単位の、生死の両端を管理しているものがハイデガー哲学でいう「存在」だ。

そのような存在は、象徴的には生・死という両端のあいだの「時間」に従属していることになる。なるのだが、その時間はもともと人間の「外」にあるものだ。宇宙のビッグバン以来、時間は流れているわけだし、「一人」が死を迎えても流れつづけるだろうからだ。

ようするに、どんな存在だってもっと大きな時間とともにあるはずなのに、その時間の全貌は「私」に所属していないのだ。人間が自分の死を体験できない(他人の死も同様だ)ということは、「私」は世界のごく一部にしか属していない、ということもできる。巨視的な目でみると、「私」は世界の時間の一部に過ぎない。

では、人間は「生死の両端」も大きな時間も感知していないはずなのに、なぜ存在を感じることができるのだろうか

ここでふりかえってみると、ヨーロッパの近代哲学は、日本での江戸時代直前、1596年に生まれたデカルトが「われ思う、ゆえに我あり」と打ち上げたところに端を発していた。だからこそ、ふつうは「ある」といえば「私」があることを指す。「主観」としての私が生まれたとき、残りの「私でないもの」は「客観」として外側に分けられる。これが物心二元論で、ヨーロッパのいわゆる「近代自我」の根拠になってきた。

しかしハイデガーは、そういったふうに「ある」をとらえてはまずいのではないかと見た。デカルトのように「私」があるから世界がある、というのはいささか傲慢ではないか。もしくは、どこかで同義反復をおこしているのではないか。

話が飛ぶようだが、コップというようなものには、「水を入れる」とか「飲む」とかといった本質がそなわっている。家も、車も、本棚も、それぞれ本質=用途をもっている。けれども人間には、そういう用途の決まった本質はあらかじめ用意されていない。

そこにあるのは「動物」としての人間だ。だが、動物なのだが、他の動物とはちがう何かがある。言語を操り、道具を駆使し、意識をもっていて、社会をつくった。けれどもそれらがいったい何なのか、その「ほんとうのところ」を知っているかといえば、ほとんど何もわからない。とくに社会のことは、生まれてからそれなりに長く人生を体験してみないと、わからない。

だとしたらわれわれは、われわれの背後にある(先に述べた意味での)「存在」だけを問うべきだ。そして、そういう存在だけを問われる人間を「実存」(現存在)とみなそう。これがのちのサルトルらへとつながる「実存主義」のスタートだった。

こうしてハイデガーは、人間の実存はそもそもにおいて「世界―内―存在」とみなすべきという考えに至る。「われわれは"世界"の外へでることはできず、そして生・死の両端を含めた"自分"の全体を知ることはできない」といったような意味だ。ハイデガーは、こうした人間と世界のありかたを「未済」と呼んだ。

この思想は、19世紀後半に生物学の成果を社会へ強引に転用した社会ダーウィニズムの「社会や人間は進歩する」という考え方とは、かなり異なるものになっている。「唯物史観」と呼ばれるマルクスの「人間の意識や存在は疎外されている」という見方でもない。"自分"に中心をおいていないのだ。自分と世界が区別なくつながっているということだ。ハイデガーのこの考え方は、ニーチェによって「神の死」が宣告され、しかも第一次世界大戦の混乱と不安の中にあった時代に「知の一撃」を食らわせたわけだった。

カルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』(NHK出版)#56

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ジェームズ・フレイザー『金枝篇』で、フレイザーは中部イタリアのネミに伝わる物語に注目した。その伝承によれば、かつてネミの森には女神ディアーナに仕える祭司がいて、「森の王」の称号をもっていた。もし誰かがこの祭司に代わって新たな森の王になろうとするなら、湖のほとりの「金枝」を折って、その祭司を殺すしかなかった。フレイザーはこの伝説に潜む「非合理的な論理性」を描き出した。

すべての始まりは、国王殺しだった。1793年1月16日にパリで開かれた国民公会は、投票の結果、ルイ16世に死刑を宣告した。科学の最も深い根っこの一つに、反逆する心、すなわちすでに存在する事物の秩序を受け入れることを拒む心がある。

1902年、オーストリアのウィーンに生まれたカール・ポパーは、その最初の著書『探求の論理』で、科学知識は合理的な仮説の提起とその反証(批判)を通じて試行錯誤的に成長するという「科学の反証可能性」を唱え、現代科学の根っこの部分に大きな影響を与えた。ちょうど満州国皇帝に愛新覚羅溥儀が即位し、ドイツでヒトラーが「民主的に」総統兼首相に就任した頃のことだった。

クラウジウスは、この一方通行で不可逆な熱過程を測る量を考え出した。そして、学のあるドイツ人だったので、その量に古代ギリシャ語に由来するエントロピーという名前をつけた。

ポパーがその科学思想をちゃくちゃくと練っていたころ、ベルギーの物理学者イリヤ・プリゴジンはエントロピーにまつわる熱力学の第2法則を研究しながら、熱力学的な平衡が安定であるための条件を求めていた。そして、システム内部のエントロピー生成量が最小になるときにシステムが安定し、その特別のばあいが熱平衡状態であること、そこではエントロピー生成量がゼロになっていることをつきとめた。

マクロな状態を定義するにはエネルギーを知る必要があり、エネルギーを定義するには時間の正体を知る必要があるのだ。さらにこの理屈では、まず時間が存在していて、ほかのものとは独立だということになる。 ところが、同じこの関係を別の角度から捉えることができる。要するに、逆から読むのだ。マクロな状態を観察すると、この世界のぼやけた像が得られるが、それをエネルギーを保存するような混ぜ合わせと解釈することができて、そこから時間が生まれる。

かのアイザック・ニュートンは空間と時間とを、ぼくたちがその影響下にいるという意味ではとても馴染みのあるものだから、私はこれを今さら定義しないと言った。今や科学は、この古典力学の「森の王」を斃そうとしつつある。いや、その力学の「反証可能性」を見出して、新たな理論を生み出している。スティーブン・ホーキングの再来とも評される気鋭の理論物理学者カルロ・ロヴェッリは、その光景をこそ描きだした。

ぼくは色んな本を読むにつれて「文系」「理系」の区別が煩わしくなった内のひとりなのだけれど、もともとは文系少年だった。理系少年がお父さんのラジオを深夜にこっそり分解している間に、アルセーヌ・ルパンや怪人二十面相といっしょに八面六臂の大活躍を演じていた。

でも、だからこそこういう想像力の極北を超えた本に触れる体験は、香ばしい。存外に、こうした本がいまの自分の悩みをアナロジカルに解消してくれたりするから侮れないのだ。さて、この芳醇な感慨をかかえて、次はどこへ向かおうか。十一次元の超弦理論を学んでみるか、あるいは千の顔をもつ英雄に会いにいくか――。

中村文則『去年の冬、きみと別れ』(幻冬舎文庫)#55

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この一文を読んでほしい。中村文則『去年の冬、きみと別れ』の作中で示される、死刑囚の手紙の一文だ。

もうこんな自分なんて死んでしまえばいいって普段は思ってるのに、やっと死ねると思ってるのに、突然、こんな風に急に怖くなるんだ。僕は何もしてないのに、無実の罪で死刑になるんだよ。マスコミにこのことを暴露してくれ!お願いだよ。僕を死から救ってくれ!

精神医学のセカイでは、「精神疾患の診断と統計の手引き」というものがある。その英語のイニシャルをとってDSMと略される。これは何年かおきに改訂され、そのたびに精神医療のグローバルモデルになってきた。とくにアメリカ精神医学の権威ロバート・スピッツァーがリーダーとなって1980年に制作された第3版が大いに広がり、その名が知られるようになった。ちなみに日本で「うつ病」が話題になったのは1994年のDSM第4版あたりからだ。

今や統合失調症、双極性障害といった「精神疾患」は、耳慣れないビョーキではなくなった。いや、もはや癌や脳卒中と並ぶ5大疾病になった。

いち小説の紹介に、なんで精神疾患の話をもちこんだのかと思うかもしれない。が、ぼくは『去年の冬、きみと別れ』を読んで、この精神疾患に、あるいはそれを認知した社会にひそむ「陥穽」を感じたのだ。

ちゃんと治る、あるいは治療で緩和できる病気として精神疾患を定義したというのは、良い。ぼくの身近にもそれで前向きに治療に取り組んでいる人はいるし、またそうすること自体がある種の「救い」になるのだろうとも思う。

だが、イシツ(異質)なことを言う人に対し、恣意的に精神疾患のレッテルを貼るとしたら、どうか。このとき、精神疾患は「われわれ」の論理を正当化するためのフィクションになる。矛盾を遠ざけるための機構として機能してしまうのだ。では、もしもその「排除機構」がうまく作用したとしたら、ターゲットを社会から完全に排除することができるのではないか。たとえば、死刑にするというような形で――。

本作はミステリーでもあるから内容自体に触れるのは控えておくけれど、ぼくには上に書いたような「もしも」を描いた物語として読めた。著者は福島大学の行政社会学部を出た後、2002年に『銃』で第34回新潮新人賞を受賞してデビューした。公式サイトのプロフィールによると、その後2007年にはカメかダンゴ虫になりたい(なんとなく)、と思い、また2011年には目の下のクマと一生付き合うことを決意した(しかたなく)らしい。こういうユーモア、ぼくは大好きだ。この人の本を読んだのはこれが初めてだけれど、もっと読みたくなった。

石飛道子『空の論理』(サンガ文庫)#54

「わたし」を空じて想像する

想像力と空の発見

SF作家のJ.G.バラードは、地球上に残された最後の資源は「想像力」だと言ったという。そのことが心に引っかかっているときに、長浜バイオ大学で数理物理学をやっている西郷甲矢人氏の『圏論の道案内』(技術評論社)に挑戦した。けっきょく圏論は深くまでわからずじまいに終わったけれど、あとがきで西郷氏が「わたしのヒーローはナーガルジュナ(龍樹)氏、そしてもちろんゴータマ・ブッダ氏であった」と書いていた。物理屋さんの口からそんなことばが出たことに面食らったぼくは、そのままこの『空の発見』を手に取ることになる。

紀元1世紀。ローマ帝国が「五賢帝」の時代に入り、ヨーロッパにおける栄光を享受していたころ、中央アジアから中部インドにかけてはクシャーナ朝が最盛期を迎えていた。そんな折、北インドで『小品般若経』が成立した。そこには「大乗」という文字が使われた。間をおかずカニシカ王が即位して、仏典結集を行っていくなかで、ブッダの前生における「菩薩」(悟りを求める者、の意)を理想的な人間像とする一派が「大乗仏教」として自立していくようになる。

しかし、大乗の考え方が『法華経』『華厳経』『阿弥陀経』といった経典群にまとまっていくと、異教徒たちがそれをうまく使って自分たちの教説を強化し、好き勝手に「理論化」するという事態がおこる。ひょっとするとブッダの思想は、それを援用した他教の人々に食い荒らされ、そのまま地にうずもれてしまっていたかもしれない。

だがそれを救ったのが、南インド出身の龍樹(ナーガルジュナ)だった。仏教が「思想世界」が占める位置を明確にし、とくに著作『中論』において、「仏教思想に最大の影響を与えた」と言われる「空の思想」を確立した。

語ることについて語るときに僕は「空」を語る

「空(くう)」とは何か。本書の著者によれば、それは「語ることば」について語るときにおさえておきたい論理なのだという。

およそ、ことばが用いられるところには、仏教の場合、「空」の論理が用いられているのです。

空ということば自体は、「中身がからっぽ」という意味をもつ。これは『小空経』というお経から知られることなのだそうだ。だから「空の論理を用いて語る」と言ったときは、「からっぽであることを利用して他人とうまく対話する」というような意味あいになるだろう。

この「中身がからっぽ」ということは、「自分のことばに執着しない」というふうに言い換えられるだろうと思う。さらに言い換えれば、「相手に合わせた語り方ができる」ということだ。たとえば、エンジニアであるぼくがそうでない友人に「ごめんごめん、Dockerコンテナのビルド時のエラー対応に追われちゃって・・・」なんて言ったら、もう声をかけてもらえなくなるだろう。相手の「その分野に対する知識の深さ」によって、伝わる語り方と、そうでない語り方があるのだ。だからこそ、自分を「空じて」、相手に伝わる語り方を、その場その場で編み出してゆく。ブッダや龍樹は、その術の達人だったのだ。きっとそうして語り方を変えていく過程では、チャールズ・パースが言うところの「アブダクション」も大いに躍如したことだろう。

相手の聞きたい内容をくんで、ことばにその知りたい意味や名づけを自由に入れて、相手に渡す(...)。それを完全にできたのが、ブッダであり、龍樹なのです。相手がわからないとみるや、次々とことばを換え、名づけを換えて意味を新たにし、相手の理解につながるように自在に話を展開できたのです。

冒頭で紹介した西郷氏の話に戻るけれど、彼が二人を「わたしのヒーロー」だと言ったのは「自分の専門について、いかようにも語ることができるという勇気を与えてくれた」からではないか。そう思った。

吉本ばなな『スウィート・ヒアアフター』(幻冬舎文庫)#53

ひそやかな鎮魂・ささやかなエール

同じように聞こえているけれど、子どもたちはきっと同じではない、卒業したり入学したりして、確実に入れ替わっているのだ。私の細胞もきっとあのときとは違ってほとんど入れ替わっている。だから今は今なんだ。そう思った。

これが彼女の魅力。なんでもない日常を綴るようでいて、そこにかるがると哲学を放り込んでくる。こういう文に触れると、ひそやかな幸せのようなものを感じる。なんというか、深く落ち込んでいるわけではないのだけれど、元気があるというわけでもないようなときに読みたくなる文章だ。

小さいことが人間関係をこつこつと創っているのだということも、事故の後にはじめてほんとうに気づいた。夜通し語り合ったり、いっしょに寝たり、旅をしたりするのではなくって、毎日ちょっとずつ、気づかない程度に思いやり合っているだけでも、しっかりと信頼のお城ができること。

ふう、なんとも心休まるような書き口だ。からからに乾いたのどをうるおす、コップ一杯の安心。ここで語られている「事故」がなんなのかは、どうか本編にあたってみてみてほしい。きっと最初から度肝を抜かれる。

吉本ばななは、このほっとする中篇を誰に向けて書いたのだろう。このことについて、作家自身はあの災害が大きくかかわっていると語る。

2011年3月11日の震災は、被災地の人のみならず、東京に住む私の人生もずいぶんと変えてしまいました。
とてもとてもわかりにくいとは思いますが、この小説は今回の大震災をあらゆる場所で経験した人、生きている人死んだ人、全てに向けて書いたものです。

「生きている人死んだ人、全てに向けて書いた」。ぼくが本編を読んで感じた「ひそやかな幸せ」は、これが生者へのエールであり、死者への鎮魂の歌であるからこそ生まれてきたものなのだろうと思う。

あのときから、もうほとんど10年になる。この記事の読者の中にも、つらい日々を経験した人がいるだろう。もしそうだとしたら、この本はあなたにこそ読まれるべきものだ。

多和田葉子『エクソフォニー』(岩波現代文庫)#52

副題「母語の外へ出る旅」

「エクソフォニー」ってなんだろう。ぼくがこの本を手に取ったときの最初の「?」はそこだった。

これまでも「移民文学」とか「クレオール文学」というような言葉はよく聞いたが、「エクソフォニー」はもっと広い意味で、母語の外に出た状態一般をさす。

ふむふむ。つまりこれは「言語の違いによる文化の違い」だったり「その他言語社会が共有している価値観に対する新鮮な驚き」を感じている状態ということかな。じゃあ、そんなエクソフォニーな状態ってどう役に立つのだろう。

言語表現の可能性と不可能性という問題に迫るためには、母語の外部に出ることが一つの有力な戦略になる。

ははあ。「何が言語(母語)で表現できて、何が表現できないか」ってことを考えるために、母語の外に出て、俯瞰的な目を持つこと。それがエクソフォニーってことか。そういう外に出る=「異質さを取り入れる」ということでいうなら、読書でいろんな「言語=主張」に触れるというのも戦略の一つになりそう。

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↑併読中の3冊をならべてパシャリ

ところで、この本の著者は1960年に東京に生まれたのだけれど、早稲田の文学部を卒業してからはドイツのハンブルク大学などで学んで、82年からいよいよハンブルクに住み始めてしまったらしい。うん、そういう経歴を知れば「エクソフォニー」に対する説得力もずずいと増してくる。

ぼくは最近これまでを省みて、この著者のような「異質な他者に触れる体験」をさほどしてこなかったなと思っている。だからこの春から、ここでは詳しく言えないのだけれど、そういう「異質さ」にふれるためのチャレンジをするために準備しているところだ。そんな折の『エクソフォニー』だから、自分に深々と杭を打ち込むような、そんな読書になった。

以下、心に沁みた箇所をほろほろと引用しよう。

わたしはたくさんの言語を学習するということ自体にはそれほど興味がない。言葉そのものよりも二ケ国語の間の狭間そのものが大切であるような気がする。

―――◆
狭間に立って、情報の行き来のなかだちをするのが「メディア(Media)」。

放っておくと、わたしの日本語は平均的な日本人の日本語以下、そしてわたしのドイツ語は平均的なドイツ人のドイツ語以下ということになってしまう。その代わり、毎日両方の言語を意識的かつ情熱的に耕していると、相互刺激のおかげで、どちらの言語も、単言語時代とは比較にならない精密さと表現力を獲得していくことが分かった。

―――◆
続けるためのコツは続けること。多言語学習は「多言語が苦痛」と紙一重

言語は壊れていくことでしか新しい命を得ることができないということ、そしてその壊れ方を歴史の偶然にまかせておいてはいけないのだということ(...)。言葉遊びこそ、追い詰められた者、迫害された者が積極的に掴む表現の可能性なのだ。

―――◆
ナンセンスこそが構造を再構築する。「小さきもの」の、大いなる反逆。

松岡正剛『情報生命』(角川ソフィア文庫) #51

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知のメディア「千夜千冊」

突然だが、この記事の読者は千夜千冊という Web サイトをご存じだろうか。すべてのものを情報としてとらえる「編集工学」の創始者、松岡正剛が運営する「知のメディア」だ。何を隠そう、ぼくはこの千夜千冊が大好きなのだ。このブログの文章も、拙いながら千夜千冊のテイストに似せている。

ぼくと千夜千冊との出会いは、まだ学生だった 2018 年。神戸三宮のジュンク堂で、千夜千冊の文庫版第 1 作目となる『千夜千冊エディション 本から本へ』を手に取ったことからだ。一読して、衝撃を受けた。1記事に1冊ずつ紹介される書籍に、濃厚な「解説」がついている。それが単なる「書籍の評価」なのではない。その書籍をとりまく文脈や著者の経歴、また自分(松岡)と書籍との付き合い方までが縷々綴られている。

ページをめくるたびに「知の波」が押し寄せてきて、なすすべもなくさらわれた。夢中になったぼくは、大学の図書館にあった7分冊、9000 ページ超の『松岡正剛 千夜千冊』(求龍堂)を 1 年かけて読破したものだった。いまもし「教養が足りない」という悩みをもっているなら、まず千夜千冊をのぞいてみることをおすすめする。今回はそんな文庫版「千夜千冊エディション」の中から第4作『情報生命』をとりあげたい。

あるとき、ニューヨークの上空に巨大な銀色の円盤が覆ったまま動かなくなった。連隊のようだ。
全世界が固唾を吞んで見守るなか、円盤の総督らしき人物が、全無線周波数帯を通じて演説をした。カレレンと名のった。みごとな人工音声による英語の演説で、しかも圧倒的な知力を駆使している。いいかげん地球上の衝突や功利をやめないかぎり、ここを動かないという。カレレン総督の演説がおわると、地上のめいめい勝手な主張などが通用する時代に幕がおりたことが明確になった。それよりなにより、地上におけるどんな決定力よりもこの知的円盤体がくだす指導や指示のほうが、地球全体の知恵を足し算したものよりも図抜けて上等のものであることが了解されてしまった。そこで・・・。
この出だしにはギャフンだった。兜を脱いだ。アーサー。クラークの『地球幼年期の終わり』の導入部だ。スタンリー・キューブリックの《2001 年宇宙の旅》を京橋のテアトル東京のばかでかいスクリーンで見た年に創元 SF 文庫から新しい翻訳が出たのだが、キューブリックの仕掛けにやられた矢先、またまた脳天の隠れ部位を何かでこづかれたのだ。1969 年の冬だ。(アーサー・C・クラーク『地球幼年期の終わり』)

「圧倒的な知力を駆使」「知的円盤体」というようなことばは円城塔作品を彷彿とさせる。

まさに、これなのである。バラードはディストピアにいるのではなく、宇宙の片隅の浜辺にいる男なのである。その男は生物体としては半ば異常化しているらしく、そうなってしまっていることを知るよすがをさがしている。よすがはこの宇宙の情報生命がつながりあうネットワークのどこかの切れ目か結び目にあるようなのだが、漠然と周囲を見ているかぎり、男のまわりの多くの現象や人間たちには何の変化もおこってはいないように見える。それでもそこに、僅かな前兆や予兆が走るのだ。
そのとたん、事態は一気に様相を変え、とても小さな異変ととても大きな異変がなんだか呼応しているように、感じられてくる。バラードはその照応の異同を綴っていく。ディストピアなんぞではなかったのだ。(J・G・バラード『時の声』)

初期値のほんのわずかな違いによって、全体の様相が大きく変わる系は複雑系と呼ばれる。生命システムとしてのヒトもその1つだ。『情報生命』は 28 冊の本を手すりにして、複雑系、動的平衡システム、そして生命と情報の深奥に迫っていく。

第一世代のシステム論は「動的平衡システム」である。ここでは、有機体は外部の環境と物質代謝やエネルギー代謝をしながら自己を維持しているシステムとみなされる。 第二世代のシステム論は「動的非平衡システム」を対象とする。物質代謝とエネルギー代謝をしながら、システムの形成を通じて周辺条件を有利に変えていく開放系を扱う。 第三世代のシステム論が「オートポイエーシス・システム」である。システムを自己決定しているシステムだ。すなわち、みずからの構成素と相互作用しながら作動する自己言及システムであって、そのように作動することでみずからの構成素を次々に産出しているシステムである。

ポイエーシスとは、ギリシア語で「産出」「創造」を意味することばだ。オートポイエーシスとは「自己が自己をつくる」のだ。

われわれがいま一番失っているか、もしくは苦手になっていることが少なくとも二つある。ひとつはインスピレーションを受けたり放ったりすること、もうひとつはトポスにこだわってその夢を見ることだ。世の中がエビデンス(証拠)のなすりつけあいになって「ひらめき」が後退し、どこでもいつでもユビキタスになれるため「その場」にこだわれない。 トポスにこだわれないのは、場所に対する執着が薄くなっているということである。食う寝るところも住むところも贅沢をいわなければ適当に選べるし、旅をするのも友を訪ねるのもいつでもできるので、特定の場所にはこだわらない。しかしトポス(topos)がどうでもよくなればトピック(topic)もどうでもいいわけで、したがってユートピック(u-topic)にも夢を感じないということになる。

「いま・ここ」の感覚。最近いそがしいビジネスマンのあいだにも瞑想(マインドフルネス)がじわりと浸透してきているのも、その感覚を取り戻すためだというのが一因としてあるのだろう。ぼくたちはいつでもどこでも他者と「接続」できる。ここでいう他者とは、単に「他の人間」という意味ではなく「自分ではないすべてのもの」という意味合いだ。「場所の魂」がいまこそ問われている。

ユングは(...)いわばわれわれには最初から「無の充満」があるとみなしたのである。プレローマとはそのことだった。もともとはグノーシス派の神学用語で「充ちあふれたもの」といった意味だが、ユングはそのプレローマが、これもユングが名づけた「プシコイド(psychoid)」という元型状態のどこかにひそんでいると考えたのだった。そこは「コンテクストのない物心未分」のところで、その物心未分のところが何かのきっかけで解れてきたとたん、そこからいくつもの「物心両用のコンテクスト」が解錠されてくるにちがいない。そう考えたのだ。

ちなみにグノーシスとは「知識」「認識」を意味するギリシア語だ。宗派としてのグノーシス派は、人間個人の本来的自己(いわば「本当の自分」)の認識を得ることによって神から救済されると信じる一派を指す。

情報と生命についてのシサク(思索、施策)は、ウィリアム・ギブスンが描き出した「ハイパー・ヴァーチャル=リアル」へと達する。

今日は 2000 年6月2日である。そこかしこに二十世紀最後の黄昏がたちこめているはずだが、事態はぶじぶじと停滞しきっていて最悪だ。ポストモダン思想とサイバーパンクが何かを使いはたして「からっきし」を露呈させたと言われかねまい。 そんなふうに感じるとしたら、主題と主観によって社会や世界を見ようとしすぎたからだろう。これではすぐに「からっきし」がやってくる。そうではなくて、方法の世紀が始まろうとしていると見るべきなのである。主題の世紀がヴァニシング・ポイントに向かっていて、これに代わって「方法」を語る時が来ていると思えばいいのだ。

今日は 2021 年1月 16 日である。「方法の世紀」に入ってはや 20 年が過ぎた。ぼくが見るに、まだ巷間には主題をとりあげる向きも多い。COVID19 の蔓延を受けた緊急事態宣言も、大きな効果をあげているとはいいがたい。ぼくたちの感覚の中では、この有事が平時になっているのだ。だとすれば、感染終息後の「ニューノーマル」こそが有事だろう。平時に有事を考えるうえで、本書が絶好の手すりになるはずだ。

円城塔『Boy's Surface』(早川書房) #50

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某人による超文脈的解説

ハーバート・クエインがロスコモンで死んだ。「タイムズ」誌の文芸付録はわずか半年の追悼記事をのせただけであり、そこには、副詞によって修正されていない(すなわち、厳しい説諭を受けていない)形容詞はひとつもないことを知っても、僕はべつに驚かない。

僕は視線によって生成されて、僕自身を通じて見られており、そして僕ではない部分の僕を探索するために派遣されている。この言い方が不正確なものであることは言わずもがな、しかし今のところはこのあたりで御寛恕を願いたい。あなたがここに戻ってくる頃には、もう少しこの文章の意味も通っているものと期待したい。僕は僕のみに生くるに非ず。それは僕の性質によっても保証されている。

図書館のすべての人間とおなじように、僕も若いころよく旅行をした。おそらくカタログ類のカタログにある、一冊の本を求めて遍歴をした。この目が自分の書くものをほとんど判別できなくなったいま、僕は、自分が生まれた六角形から数リーグ離れたところで、死に支度を整えつつある。

ここには意味なるものはない。器官なき言語と、文脈を超えて集まった作品があるのみだ。彼は、彼自身による解説にこう書いた。

結局、そこに記されている言葉を展いていく以外の読み方は存在しない。

つまるところ、ここにどんな意味を見いだすかは僕たちの仕事だ。ここは「数理的恋愛小説」なる識別名によって定数化されているが、それはそれ、僕たちはもっと変数的な解釈に遊んだってかまわないのだ。

この場の雰囲気に触発されて、僕も超文脈的な記述を試みてみた。彼と、彼ならざるものと、僕の記述が文脈を超えて縒り合されたもの。それがこの文章に与えられた属性だ。
引用元は、あえて明示しないでおく。しないでおくが、ハーバート・クエインなる人物や、無限数の六角形の回廊でなりたつ図書館を扱った作品はそう多くないだろう。

メアリアン・ウルフ『プルーストとイカ』(インターシフト) #49

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この記事から学べる事

  • 現代に通じるソクラテスの批判
  • 『プルーストとイカ』の要旨
  • 文字が読めることの「異常さ」

文字が読めるという神秘

初めて文字が読めることに気づいたのはいつだっただろうか。ぼくにはそのあたりの記憶があまりない。そもそも幼少期の出来事をそれほど覚えていない。母に聞いてみると「小学校に上がるまで、けっこう絵本の読み聞かせはしてたよ」と言っていたので、たぶんそうなのだろう。読書に関する記憶でもっとも古い光景は、薄茶色の本棚に2~3冊並んだ『かいけつゾロリ』シリーズだ。それからポプラ社の児童むけ『怪盗20面相』や『アルセーヌ・ルパン』シリーズが増えていった。今でも人気のある『ハリー・ポッター』シリーズは、2つ隣の家のおばさんが「賢者の石」と「秘密の部屋」を貸してくれたのだったけれど、ぼくにはあまり読めなかった。それでも「読めない」と言うのが悔しくて、ずっと「面白かった」としらをきっていた。

ぼくがそうやって読書―書かれた文字を「読む」こと―を楽しみはじめる2000年以上も昔、ギリシアで「文字文化」に否定的な意見を表明した哲学者がいた。ソクラテスだ。彼は《ぎょろりとした出目で、額は盛り上がり、ギリシャ人にしては珍しいほど容貌の美に恵まれていなかったが、弟子たちに囲まれて中庭に立ち、抽象美や知識、“吟味しつつ生きること”の計り知れない大切さについて熱心な対話を交わした》。そんな彼が文字文化、書き言葉に否定的だったのは、それが柔軟性に欠け、ものごとを覚える努力を怠らせるが故に、人間の『知識を真に理解して使いこなす能力』を失わせるものではないかと懸念していたからだ。要するに、《ソクラテスが心から心配していたのは、若者たちが指導も受けず、批判する能力も持たずに情報を手にした場合に知識におよびうる影響》だった。この懸念は、情報過多の時代を迎え、日々情報に接するぼくたちにも驚くほど当てはまる。

『プルーストとイカ』という本があることは、2年ほど前から知っていた。それを先日、JR八王子駅北口の商業施設「セレオ八王子」8階にある有隣堂に立ち寄った時、たまたま見つけた。著者はイギリスでディスレクシア(読字障害)を研究する認知神経科学者だ。読字障害の専門家が、なぜ読書に関する本を書いたのか。それは、著者が「文字を素早く読める脳と文字がなかなか読めない脳を比べることで、人間はどのように文字を読むようになるのかという生物学的・認知的な過程が見えてくるのではないか」と考えたからだ。

書記言語を習得できない脳の原因を探れば、その働きを別の角度から見ることができるようになる。素早い泳ぎを習得できないイカの中枢神経が、泳ぎに必要なものを教えてくれるのと同じだ。その逆も言える。文字を読む脳について理解すれば、ディスレクシアを別の観点から見直すことができるのだ。こうして両面から検討を進めるうちに、知能の進化に対する視野が広がっていく。そうすれば、読字をはじめとする文化的発明は、脳が秘めている驚くべき可能性のひとつの表れに過ぎないことが見えてくる。

そもそもの話、「読字のための特殊な脳領域」は存在しないということが読字障害の出現につながっている。文字が読める人は、元々は他の目的―物体の認知や、運動制御―に使われていた領域をうまく連携させて読書をしているのだ。この現象は「ニューロンのリサイクリング」と呼ばれている。こうしてみると、神経科学的には文字が読めることの方が「異常」なのだ。だからこそ、「文字が読めない子どもたち」は決して他より劣った存在ではないので《どの子どもの潜在能力も見逃さないようにすること》が重要だと著者は強調する。例として、彼女は自身の息子でディスレクシアであるベンの例を挙げている。

ちょうど、サミュエル・T・オートンのややこしい側性化説について書いていた時のことだ。ベンは高校時代によくしていたように、私と並んでダイニングルームのテーブルに向かっていた。オートンが当時、おそらく間違っている説にたどり着いてしまったのはなぜかという個所にさしかかって、ふと目を挙げると、ベンはピサの斜塔の全体像を細部に至るまで実に精緻に描いている。それが何と、上下逆さまなのだ!

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最後に、著者は昨今のデジタルメディアの発達に目を向ける。「アナログか、デジタルか」というような議論がある中で大切なのは、そのどちらかをとってどちらかを捨てるという態度ではなく、ソクラテスが考えていたように「知識を真に理解し使いこなす能力」を磨くことだという。

分析と推論ができ、自分の考え方で文字を読む脳に、人間の意識を形成するあらゆる能力と、敏捷、多機能、視聴覚を含む複数のコミュニケーション・モードを利用するマルチモーダル、情報統合を特徴とするデジタル思考の能力が備われば、排他的な世界に住み着く必要はない。

要するに著者は、読書の利点は読書している時間にあるのではなく、そのテクストを離れ《超越して思考する時間》にこそあると考えているのだ。それゆえに彼女はこの本に最終章を設けず、《結末はあなた、読者の筆次第だ……》と結んだ。だからぼくはこの記事を、『プルーストとイカ』の最終章の1つにしたいと思う。これまで生まれてきた、そしてこれからも生まれるであろう、無限数の最終章の1つに―。

【ピリ辛の沼】水野仁輔『スパイスカレー事典』(パイ インターナショナル) #48

f:id:fugithora812:20201004153254j:plain 料理が好きだ。平日の夜、仕事から疲れて帰ってきたときも一品はつくる。ぼくにとってはそれが気分転換のナイトルーティーンのようになっている。

こうまで料理に熱をあげることになったきっかけは、参加しているオンラインサロンの「ごはん部」に入ったことだった。食べることが好きなメンバーが集まり、「きょうのごはん」の写真をアップするというのが主な活動だ。そこで自分の料理を見て、反応をもらえるというのが今でも料理を続けるモチベーションになっている。

そうこうする内に、YouTubeで「一人前食堂」を知った。ゆったりした雰囲気や料理に関する知識の広さにたちまち虜になった。とくにぼくが気を惹かれたのが、スパイスカレーのレシピだ。「家でもスパイスからカレーを作れる」ということが新鮮な驚きで、すぐにつくってみたくなった。

さっそく近所のスーパーでコリアンダー・クミン・ターメリック・チリパウダーを買ってきた。1日経って本書が届いた。著者は「カレー専門の出張料理人」というだけあって、スパイスに関する解説は広く、深い。といってもエッセイ調になっているから、ぼくのような「スパイス初学者」にも楽しめた。

いま、この記事を書いている時点で何回かつくったが、なかなか楽しい。本書にはスパイス配合のコツなんかも少し書いてあるから、つくるたびにちょっとずつ味を変えて楽しんでいる。「好きになったらなかなか飽きにくい分野・領域」を「沼」というが、このスパイスカレーは「底なし沼」だったようだ。