言熟文源録【ことば紀行】

ふっくら熟れたことばの実。そのタネをみつめる旅に、出かけましょう。

アメリカンルネサンスと南北戦争【アメリカ文学篇2】

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 やあ、ようこそふぎと屋へ。今回もアメリカ文学篇を
やっていこう。今日は「アメリカン・ルネサンス」前夜

からだ。


アメリカン・ルネサンス」の到来


 さて、前回はアメリカ植民の草創期から独立宣言まで
をざっと眺めてきた。今回はしだいに社会が安定してき
て、ぽつぽつと職業作家が出てきたころから話をはじめ
よう。
 アメリカの最初の職業小説家として知られているのは
チャールズ・ブロックデン・ブラウンだ。ゴシック(恐
怖)小説や心理小説を多く残した。例えば『ウィーラン
ド』では腹話術の声に操られた宗教的狂信者が描かれ、
また『アーサー・マービン』(1799、1800)ではフィラデ
ルフィアの黄熱病流行を背景に、社会の影の面(殺人、
裏切り、自殺未遂、病死など)が写実的に描写されてい
る。
 一方で、女性作家も躍如した。スザンナ・ローソンが
書いた『シャーロット・テンプル』(1794)は「アメリ
最初のベストセラー小説」なんて言われたりもするんだ
が、こいつが昨今のフェミニズム運動の隆盛とともに再
評価されたりしている。
 この時期の重要人物をもう少し紹介しよう。ひとりは
ジェームズ・F・クーパーだ。北米辺境に生きる白人猟
師とインディアンの運命を歴史的な展望を持って描いた
彼の作品『革脚絆物語』(1823~41)は、「国民文学の基
礎を培った」とまで言われる。もうひとりはご存知、エ
ドガー・アラン・ポーだ。「江戸川乱歩」のペンネーム
の元になったこの作家は、推理小説の開祖として、また
すぐれた批評家として後世に大きな影響を残した。ちな
みにポーについては、松岡正剛氏が運営するサイト『千

夜千冊』で詳しく紹介されているから、興味がある人は
そちらを覗いてみても良いだろう。

ポー名作集 (中公文庫)

ポー名作集 (中公文庫)

 


 さあ、いよいよアメリカン・ルネサンスだ。こいつは
1830年代、アメリカ思想界の主流となった超絶主義に端
を発している。超絶主義とは、ざっくり言うと「日常の
経験を『超絶』した直感によって真理にせまろうとする
考え方」をいう。この潮流の中心となったのが「コンコ
ードの哲人」ことエマソンだ。『自然論』(1836)などの
著作で、彼はその超絶主義的な思想を披歴し、アメリ
思想界・文学界にひとつの精神風土を作り上げたんだ。
これには多くの文人・詩人が追随した。例えばヘンリー・
ソローは、自然の中で孤独な生活を送ったときの記録を
『ウォールデン―森の生活』(1854)にまとめた。また、
詩人ウォルト・ホイットマンエマソンの思想を大きく
発展させ、『草の葉』(1855~1892)を発表した。この初
版を読んだエマソンは、彼に祝福と激励の手紙を送った
という。
 ところが、こうなるのが世の常だが、エマソン流の思
想は反発も招いた。『緋文字』(1850)のナサニエル・ホ
ーソンや『白鯨』(1851)のハーマン・メルヴィルがその
代表だ。彼らはエマソンの「真理へといたる手段として
の想像力」を信頼する無条件な楽観主義に対して懐疑を
いだき、その作品の中で人間の暗い一面と本質的な悲劇
を追求したんだ。

白鯨 上 (岩波文庫)

白鯨 上 (岩波文庫)

 

 ここでこの時代のアメリカ社会を見渡してみると、一
方では産業の発達や西部開拓の進展によって、これまで
にないほどの楽観主義(「頑張ればなんとかなるさ」)が
浸透していったのだが、他方では人間について不気味に
なるほどの懐疑がわだかまっていて、それが幻滅や絶望、
自己の否定に通じる激しさをもっていた。さきにみたエ
マソンらとホーソンらとの対立は、まさにこうした「社
会の鏡」と捉えることもできる。
 しかし、こうした傾向は19世紀の半ばには早くも「ガ
ス欠」する。激しすぎてみんな疲れてしまったんだな。
代わりに台頭したのは、ロングフェローやローウェルな
ど、西欧の伝統的教養を身につけた保守的な文学者だっ
た。


南北戦争という境界線


 南北戦争は、上にとりあげた文学的な潮流の変化の
さなかに起こった(1861~1865)。むしろ、この戦争が
文学のシーンを大きく塗り替えるきっかけになったと
いってもいいだろう。この時代を代表する文学者たち
は、ちょうどエマソンがその「超越主義的楽観主義」
ブイブイいわせていたころに生まれた世代だ。南北
戦争のあと、急激に変化していくアメリカを彼らはリ
アリスティックに見つめた。「時代の観察者」になっ
たわけだ。その代表といえるのが、『赤毛布外遊記』
(1869)で全米に名を馳せたマーク・トウェインだ。そ
の後彼は『ハックルベリー・フィンの冒険』(1885)に
よって、「真にアメリカ的と称するにふさわしい文学
伝統を確立した」。一方で、幼いころからヨーロッパ
経験が豊富なヘンリー・ジェームズは『ある婦人の肖
像』(1881)などでアメリカ文化とヨーロッパ文化とを
対比的に描いた。彼は技法的にも登場人物の心情の機
微を探って、統一された視点から複雑な意識をありあ
りと描く心理主義リアリズムの手法を確立した。この
あたりのことはまた、トウェインかジェームズをとり
あげて書こうとおもう。

 

ハックルベリィ・フィンの冒険 (新潮文庫)
 


 さて、上にとりあげたような展開をみせた19世紀後
半のアメリカ文学だが、1890年代にかけてはまた新た
なムーヴメントがおこる。「自然主義」だ。そもそも
この思潮は、アメリカが南北戦争だったころのフラン
スで、エミール・ゾラを中心におこったものだ。その
核心をざっくり言えば、「現実世界を説明することが
できる方法は科学しかないので、文学もまた、人間の
行動の裏にある生理学的根拠や、個々人の性格を決定
づける社会環境を追求しよう」といったところだろう。
これに似た言葉に「写実主義」があるが、単にありの
ままの現実再現をめざす写実主義を継承して、方法的
に推し進めたものが自然主義だと考えて良いだろう。
その自然主義が30年ほどのタイムラグをもって、1890
年代以降のアメリカに押し寄せたわけだ。例えば『赤
色武勲章』(1895)で南北戦争を舞台に若い無名の兵士
の行動と心理を描いたステファン・クレーン。また、
『オクトパス』(1901)でカリフォルニアにおける農民
と鉄道会社の闘争を描いたフランク・ノリスもこの時
期の代表的作家だ。こうした自然主義作家たちは短命
の者が多く(例えばノリスは32歳で夭折している)、そ
れ故にその作品は「自らの運命は自ら選ぶ」という意
志、夢への決断と成長を重視しているという特徴があ
る。
 じゃあ、今回はこのあたりにしよう。次回はいよい
よ20世紀の話に入るつもりだ。では、良い夜を。