言熟文源録【ことば紀行】

ふっくら熟れたことばの実。そのタネをみつめる旅に、出かけましょう。

カルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』(NHK出版)#56

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ジェームズ・フレイザー『金枝篇』で、フレイザーは中部イタリアのネミに伝わる物語に注目した。その伝承によれば、かつてネミの森には女神ディアーナに仕える祭司がいて、「森の王」の称号をもっていた。もし誰かがこの祭司に代わって新たな森の王になろうとするなら、湖のほとりの「金枝」を折って、その祭司を殺すしかなかった。フレイザーはこの伝説に潜む「非合理的な論理性」を描き出した。

すべての始まりは、国王殺しだった。1793年1月16日にパリで開かれた国民公会は、投票の結果、ルイ16世に死刑を宣告した。科学の最も深い根っこの一つに、反逆する心、すなわちすでに存在する事物の秩序を受け入れることを拒む心がある。

1902年、オーストリアのウィーンに生まれたカール・ポパーは、その最初の著書『探求の論理』で、科学知識は合理的な仮説の提起とその反証(批判)を通じて試行錯誤的に成長するという「科学の反証可能性」を唱え、現代科学の根っこの部分に大きな影響を与えた。ちょうど満州国皇帝に愛新覚羅溥儀が即位し、ドイツでヒトラーが「民主的に」総統兼首相に就任した頃のことだった。

クラウジウスは、この一方通行で不可逆な熱過程を測る量を考え出した。そして、学のあるドイツ人だったので、その量に古代ギリシャ語に由来するエントロピーという名前をつけた。

ポパーがその科学思想をちゃくちゃくと練っていたころ、ベルギーの物理学者イリヤ・プリゴジンはエントロピーにまつわる熱力学の第2法則を研究しながら、熱力学的な平衡が安定であるための条件を求めていた。そして、システム内部のエントロピー生成量が最小になるときにシステムが安定し、その特別のばあいが熱平衡状態であること、そこではエントロピー生成量がゼロになっていることをつきとめた。

マクロな状態を定義するにはエネルギーを知る必要があり、エネルギーを定義するには時間の正体を知る必要があるのだ。さらにこの理屈では、まず時間が存在していて、ほかのものとは独立だということになる。 ところが、同じこの関係を別の角度から捉えることができる。要するに、逆から読むのだ。マクロな状態を観察すると、この世界のぼやけた像が得られるが、それをエネルギーを保存するような混ぜ合わせと解釈することができて、そこから時間が生まれる。

かのアイザック・ニュートンは空間と時間とを、ぼくたちがその影響下にいるという意味ではとても馴染みのあるものだから、私はこれを今さら定義しないと言った。今や科学は、この古典力学の「森の王」を斃そうとしつつある。いや、その力学の「反証可能性」を見出して、新たな理論を生み出している。スティーブン・ホーキングの再来とも評される気鋭の理論物理学者カルロ・ロヴェッリは、その光景をこそ描きだした。

ぼくは色んな本を読むにつれて「文系」「理系」の区別が煩わしくなった内のひとりなのだけれど、もともとは文系少年だった。理系少年がお父さんのラジオを深夜にこっそり分解している間に、アルセーヌ・ルパンや怪人二十面相といっしょに八面六臂の大活躍を演じていた。

でも、だからこそこういう想像力の極北を超えた本に触れる体験は、香ばしい。存外に、こうした本がいまの自分の悩みをアナロジカルに解消してくれたりするから侮れないのだ。さて、この芳醇な感慨をかかえて、次はどこへ向かおうか。十一次元の超弦理論を学んでみるか、あるいは千の顔をもつ英雄に会いにいくか――。