言熟文源録【ことば紀行】

ふっくら熟れたことばの実。そのタネをみつめる旅に、出かけましょう。

円城塔『Boy's Surface』(早川書房) #50

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某人による超文脈的解説

ハーバート・クエインがロスコモンで死んだ。「タイムズ」誌の文芸付録はわずか半年の追悼記事をのせただけであり、そこには、副詞によって修正されていない(すなわち、厳しい説諭を受けていない)形容詞はひとつもないことを知っても、僕はべつに驚かない。

僕は視線によって生成されて、僕自身を通じて見られており、そして僕ではない部分の僕を探索するために派遣されている。この言い方が不正確なものであることは言わずもがな、しかし今のところはこのあたりで御寛恕を願いたい。あなたがここに戻ってくる頃には、もう少しこの文章の意味も通っているものと期待したい。僕は僕のみに生くるに非ず。それは僕の性質によっても保証されている。

図書館のすべての人間とおなじように、僕も若いころよく旅行をした。おそらくカタログ類のカタログにある、一冊の本を求めて遍歴をした。この目が自分の書くものをほとんど判別できなくなったいま、僕は、自分が生まれた六角形から数リーグ離れたところで、死に支度を整えつつある。

ここには意味なるものはない。器官なき言語と、文脈を超えて集まった作品があるのみだ。彼は、彼自身による解説にこう書いた。

結局、そこに記されている言葉を展いていく以外の読み方は存在しない。

つまるところ、ここにどんな意味を見いだすかは僕たちの仕事だ。ここは「数理的恋愛小説」なる識別名によって定数化されているが、それはそれ、僕たちはもっと変数的な解釈に遊んだってかまわないのだ。

この場の雰囲気に触発されて、僕も超文脈的な記述を試みてみた。彼と、彼ならざるものと、僕の記述が文脈を超えて縒り合されたもの。それがこの文章に与えられた属性だ。
引用元は、あえて明示しないでおく。しないでおくが、ハーバート・クエインなる人物や、無限数の六角形の回廊でなりたつ図書館を扱った作品はそう多くないだろう。